久地神社

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御祭神
 天照大御神

鎮座地
 川崎市高津区久地1-39-1

例大祭
 令和5年10月8日(日)

由緒沿革
 久地神社は江戸時代には赤城社と呼ばれ、弁財天・毘沙門天がご神体として祀られていました。元禄時代に久地の農民38戸によって祀られたのが、起源と伝えられています。明治14年に村内の伊勢宮と富士浅間社を赤城社に合祀し、ご神体の弁財天・毘沙門天を浄元寺に遷し、久地神社と名を改め伊勢宮の祭神、天照大御神を主祭神としました。
 裏の崖にある半円形の凹みは、7世紀頃に造られた横穴墓の跡で、古くから祭祀の場であった事を示しています。

 今日では、宝クジ等の高額当選を願う方々にも信仰をされております。
 宝クジ信仰の起因として、地元久地駅を経由するJR南武線沿線の宝クジ売り場は、高額当選者を排出した売り場が多いと言われているそうです。
 そこである時、宝クジ等の「クジ」と神社名の「久地」に語呂を重ね、当神社に宝クジ当選の願いを込めて、その都度参詣された方がおりました。その方は、参拝以降1等を3回当選された他、2等や3等を含め複数回当選されたということから、テレビや雑誌等のマスコミに、「宝クジ高額当選のご利益の神社」として紹介されたのであります。
 また、財を司る「弁財天」信仰が今に伝承されている事も、大きな起因といえるのでしょう。
 尚、久地神社と溝口神社は、古くより兄弟神として信仰されておりました。
 久地神社には神職が常駐しておりません。お札やお守り、ご朱印をお求めの方は、兄神にあたる溝口神社にて授与しております。
(久地神社から溝口神社へは、徒歩10分以内の距離にあります。)
※新年の御朱印の対応は、令和4年1月7日以降となります。

久地神社御守

pc用sp用(左)くじ神社金運御守、(右)天然本革使用金運御守 pc用sp用(左)金運福よせお守り、(右)金運絵馬

金運福よせお守りには、箕の中に小判や小槌などの縁起物が納められております。 またこの他、金運にまつわるお守りをご用意しております。